防空兼戰鬥指揮所

虎尾建國一村過去為虎尾海軍航空隊兵舍區「一區」,建國一村中目前仍留有四座大型防空洞,興建年份推估為1944年與兵舍同時完成,建國一村出口旁的兩座防空洞,根據日軍的引渡目錄國有財產設施紀錄,較大的防空洞為「防空兼戰鬥指揮所」,較小的防空洞為「發電所」,外觀皆覆土以及樹林作為掩蔽。

二戰後由國軍接收,機場與兵舍成為空軍基地及空軍眷村,防空兼戰鬥指揮所則成為空軍虎尾飛行初級班通訊分隊所使用。後初級班結束,通訊分隊改編為「空軍電台」,今日的活動中心為前空軍電台的辦公室,電台所有的通訊設備如有線電話、無線發報機等則裝設於大型防空洞中,約有4至5人在內工作;小型防空洞則放置柴油及發電機。

防空兼戦闘指揮所

虎尾建国一村は以前の虎尾海軍航空隊の兵舎区の一区です。建国一村には目の前にも4つの大型防空壕が残っており、築年は1944年に兵舎と同時に完成されたものと推定され、建国一村の出口の側の2つの防空壕は日本軍の引き渡し項目の国有財産施設記録に基づき、大きな防空壕は防空兼戦闘指揮所として。小さな防空壕は発電所として使用され。外観はいずれも土に覆われ森で遮蔽されています。

第2次世界大戦後、国軍が接収した、飛行場と兵舎は空軍基地と空軍眷村になり、防空兼戦闘指揮所は空軍の虎尾飛行初級班の通信分隊が使用しました。初級班の後に、通信分隊は「空軍放送局」として改編され、今日の活動センターは旧空軍放送局の事務室として使用され、放送局のすべての通信設備は有線電話、無線発信機などが大型防空壕に設置されまた、約4~5人が勤務し、小型防空壕にはディーゼルエンジンと発電機が配置されました。